修復楽器
1.明治のピアノ
製造場所:月島工場
製作者:松本新吉
鍵盤蓋のブランド名:Matsumoto Tokyo.
鍵盤数:85鍵
ペダル:2本(元は4本の跡がある)
修復の完了した君津市所蔵松本ピアノの中で最古の楽器。
松本楽器合資会社のカタログ資料より、当時550円(現在の価格で約1,100万円)と推定されている。元は蝋燭を灯す燭台がついていた。象牙の鍵盤で、彫刻が前面や脚部にも施され、重厚な存在感を放つ作品である。このマホガニー色のピアノは長野県諏訪二葉高校にも展示・保管がされている。この色の楽器は「安価にもかかわらず、音律・音色ともに優れている」と新聞紙上で高く評価され、「見栄えは山葉、音色は松本」と称される所以となった。
ブランドロゴ | 前面彫刻 |
2.大正3年のピアノ
製造年:1914年(大正3年)頃
製造場所:月島工場
製作者:松本新吉
鍵盤蓋のブランド名:Matsumoto Tokyo.
鍵盤数:85鍵
ペダル:2本
君津市保有の松本ピアノの中で最初(2007年)に修復された楽器。
内部に水を被った痕跡があり、1914年(大正3年)の月島工場火災、または1917年(大正6年)の東京湾暴風津波によるものと推定されている。
象牙の鍵盤、前面、脚部に彫刻が施されている。また、響板に内国勧業博覧会や東京大正博覧会6連の受賞メダルの刻印がされており、それは大正9年製のピアノにも印されている。
ブランドロゴ | 前面彫刻 |
響板のメダルのプリント |
3.大正9年のピアノ
製造場所:月島工場
製作者:松本新吉
鍵盤蓋のブランド名:Matsumoto Tokyo.
鍵盤数:85鍵
ペダル:2本
内部に「2679」の製造番号が刻印されているピアノ。1920年(大正9年)撮影の松本ピアノ工場のアルバム内の写真に製造番号「2678」「2716」のピアノが写っていたことから1920(大正9年)年製と推定された。
響板に大正3年製と同じ内国勧業博覧会や東京大正博覧会6連の受賞メダルが刻印されている。アクションは松本製。
ブランドロゴ | 前面彫刻 |
響板のメダルのプリント | 製造番号 |
4.八重原工場第1号のピアノ
製造場所:八重原工場
制作者:松本新治
鍵盤蓋のブランド名:Matsumoto
鍵盤数:85鍵
ペダル:2本
八重原工場、そして松本新治氏製作第1号のピアノ。三島尋常高等小学校(旧君津市立三島小学校)へ納入された。このピアノについて「馬車に積まれて大事に蒲団を何重もかけて送り出した感激は忘れません」という当時の工員の手紙が残っている。
修復過程でピアノ内面木部から、新治氏自筆の鉛筆書きが発見された。(松本新治 二十三才/西暦一九二八年四月廿一日/千葉県君津郡八重原村/松本ピアノ工場製作)
ブランドロゴ | 前面彫刻 |
松本新治氏の鉛筆書き | 製造番号 |
5.昭和5~6年のピアノ
製造場所:八重原工場
鍵盤蓋のブランド名:MATSUMOTO
鍵盤数:85鍵
ペダル:2本
製造番号「119」のピアノ。八重原1号(昭和3年頃)からの通し番号で119番目を意味する。当時年間60台近くの生産であったため1930~1931(昭和5~6)年頃の製造と推定されている。松本新一氏の証言により、新治氏の作品と推定されている。カタログ価格380円。アクションはドイツ製。「Sマツモト」「Hマツモト」と呼ばれた時代の製品。
ブランドロゴ | エンブレム |
製造番号 | カタログ |
6.昭和7年のピアノ
製造場所:八重原工場
鍵盤蓋のブランド名:MATSUMOTO
鍵盤数:88鍵
ペダル:2本
製造番号「254」のピアノ。内部のエンブレムを外した下に「1932.10.28チバ君津郡八重原村 松本ピアノ工場」と書かれていた。アクションはドイツ製。現在君津市が保有する松本ピアノの中ではここから先の年代のものが88鍵の構造である。
ブランドロゴ | エンブレム |
製造番号 | エンブレムを外した下の書き込み |
7.昭和10年頃のベビーグランドピアノ
製造場所:八重原工場
制作者:松本新治
鍵盤蓋のブランド名:MSTSUMOTO
鍵盤数:88鍵
ペダル:2本
象牙鍵盤。コンサートグランドピアノに比べて小さく、家庭での演奏用に作られた。松本新治が初めてグランドピアノ製作に取り組んだ模様。試作の跡がある。グロトリアン(ドイツのピアノ会社)ミニグランドを参考に製作した。
ブランドロゴ | 鍵盤 |
鍵盤 |
8.昭和12年頃のベビーグランドピアノ
製造場所:八重原工場
制作者:松本新治
鍵盤蓋のブランド名:MATSUMOTO
鍵盤数:88鍵
ペダル:2本
アクリル鍵盤。元は象牙鍵盤であったが他工場での修理を経てアクリルとなっている。コンサートグランドピアノに比べて小さく、家庭での演奏用に作られた。グロトリアン(ドイツのピアノ会社)ミニグランドを参考に製作した。写真の2台のうちのどちらかと推定されている。
八重原工場でピアノを製作する松本新治氏 | ブランドロゴ |
エンブレム | 鍵盤 |
9.宮様のピアノ
製造場所:八重原工場
制作者:松本新治
鍵盤蓋のブランド名:Matsumoto(筆記体)
鍵盤数:88鍵
ペダル:3本
「宮様」とは、朝香宮鳩彦王のこと。太平洋戦争中である1944(昭和19)年に、軍人援護教育状況視察のため、朝香宮鳩彦王が木更津国民学校(現木更津市立木更津第一小学校)の授業を参観することとなった。当時の木更津国民学校は、1940(昭和15)年の火災により校舎が焼け落ち、ピアノも失っていた。
また、八重原工場も戦時中には疎開工場に指定され、航空計器班に属し、ピアノ作り自体が中止となっていた。このような状況下、木更津国民学校が視察前に急遽松本ピアノ八重原工場に製作を依頼し購入、御一行の音楽授業参観に使用したのがこの楽器である。
また、このピアノは1945(昭和20)年に急逝する新治の最後の作品となった。
修復中に内部の板に太平洋戦争勃発の鉛筆のメモ書きがされているのが発見された。
ブランドロゴ | エンブレム |
昭和十六年十二月八日 本営陸海軍部発表 帝國陸海軍は今八日未 明西太平洋に於てイギリス アメリカ軍と戦闘情態に入れり | 昭和十七年二月十五日 シンガポールのイギリス軍は無条件降伏ス | 昭和十六年十二月八日 大本営発表 我が帝國陸海軍は西太平洋に |
10.昭和33年ころのピアノ
製造場所:八重原工場
鍵盤蓋のブランド名:MATSUMOTO&SONS
鍵盤数:88鍵
ペダル:2本
製造番号22186のピアノ。2代目松本新治氏の急逝の後、ピアノ工場は和子夫人が跡を継ぎ、当時の職工とともに苦境を乗り越えていった。戦後の大不況の中、楽器修理や調律、ピアノ部品の製造を経て、ピアノ作りの再開、その注文件数の増加と、八重原工場が見事に復活した。この1958年(昭和33年)頃のピアノは当時の八重原工場の職工が作った作品となる。
国内の調律先覚者である沢山清次郎氏が八重原工場を訪れた際、ピアノの音色が良いことに感銘を受け、ピアノのブランド名を「MATSUMOTO&SONS」とすることを提案し、1953(昭和28)年からこの銘となっている。
ブランドロゴ | エンブレム |
フレーム | 鍵盤 |
11.H.Matsumotoのピアノ
■H.Matsumoto ベビーグランド
製造場所:月島工場
制作者:松本広
鍵盤蓋のブランド名:H.Matsumoto tokyo (筆記体)
鍵盤数:88鍵
ペダル:2本
製造年は不明であるが、H.Matsumotoは1924(大正13)年経営開始、1945(昭和20)年に工場閉鎖している。響板にブランド名のプリントがある。
ブランドロゴ | 響板のプリント |
■H.matsumotoアップライト
製造場所:月島工場
制作者:松本広
鍵盤蓋のブランド名:H.Matsumoto Tokio (筆記体)
鍵盤数:88鍵
ペダル:2本
製造番号30950のピアノ。アクションはドイツ製(KELLER).外板はラワン。鍵盤は黒檀、象牙。
ブランドロゴ | エンブレム |